Introduction- Freedom at Chit Mohol


2015年6月8日、日本から遠く離れた南アジアで、とある国境線の再画定の合意が両国首脳により為された。
インド―バングラデシュの国境線である。

この2国の国境線付近の地帯には、日本の一部で「クチビハール」と呼称されていた、無数の飛び地群が存在した。
大小優に150は超える、数多の極小の、本土から切り離され、孤島の様になった領地が両国国境線付近に存在するのだ。

現地ではこの土地を、「Chit Mohol(シート・マハル)=点々のような土地」と呼ぶ。

そこに居住する住民は、両国の法制度の問題、両国間/国内の政治的理由により21世紀の今に至るまで、
投票権、医療を受ける権利、教育を受ける権利等、一切の”人間らしく生きる”権利が与えられていなかった。

国境線の最画定に伴い、彼等”持たざる民”は、70年間悲願であった「国籍」と「権利」を手にする事が出来ることになった。

しかし、そこには一つの条件があったー「国籍を変えてその場所に残るか、今住んでいる場所を変え”向こう側”に行くか」

飛び地は国際法上はその土地を囲む国とは反対側の国の領土になる。
だから、自分達が生まれ育った場所での生活の継続を望むならば、国籍を「向こう側」のものに変える必要がある。
一方で、国際法上の「自分達の国籍」を維持したいなら、今住んでいる場所を立ち退いて、「向こう側」である本土に行かなければならないのだ。

「国籍や居住地といった、自己のアイデンティティの重大な構成要件の選択を突然迫られた人々はどんな心の動きと、実際の選択をするのか?」
「そもそも日本人が訪れた事の無い、”飛び地”とは一体どんなところなのか?」

 そんな興味を抱いた筆者は、単身現地バングラデシュに乗り込み、8月1日、実際の国境線再画定の日までに飛び地地帯に辿り着く事を目指す。

8月1日午前0時、合意が実際に施行に移され、国境線が「まさに」変わるその時、バングラデシュ側の、かつて飛び地であった場所、「ロタ・マリー」で祝賀祭が行われた。

この国境線最画定の歴史的瞬間を、現地メディア各紙は、「パリは燃えているか?」で有名なラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールが
インド・パキスタンの独立に関して描いた著書、「Freedom at Midnight」になぞらえ、
「両国に再び訪れた”Freedom at Midnight”」だ、と報じた―

Freedom at Chit Mohol、それは70年来の、ついに叶った住民の悲願である。